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ワークショップを運営する参加を
大阪:耳原総合病院 平林邦昭
「憲法9条こそ核廃絶への確かな道」という信念をもち毎回世界大会に参加してきました。今回は、96年ボストン、2000年パリ、06年ヘルシンキに続いて4回目の参加となりました。今回もすばらしい出会いを経験させていただき感謝の気持ちで一杯です。
たまたまこの文を書いている時に96年のボストン大会のアルバム写真を見ました。
多くの参加メンバーの内、現在も参加されているのはわずかの方々です。参加かなわずとも各県連で反核平和の活動を地道に続けられている方もおられます。この運動を持続、継続してゆく困難さと重要性を十分理解できる歳に遅ればせながら至りまして、あらためて長年にわたり毎回参加されている先生方には、心より敬意を表します。
私は、帰国すると早速、2年前にわが町で結成されました「9条の会はらやま」の機関紙と大阪民医連9条の会のメーリングリストにも報告いたしました。
この運動の裾野を草の根的に広げてゆきたいものです。
大阪民医連では私が研修医の頃から故安賀昇先生がIPPNWの話題をされており、毎回参加者は公募制でしたので知っておりました。研修医時代は興味を持ったものの業務の多忙さ故、なかなか名乗りを挙げることが困難で歯がゆかったものです。91年でしたか、ストックホルムの大会の公募文が掲示された時に、「僕は次の次の大会に参加する。」と決心しNHKの英会話を毎日欠かさず聴くようになりました。
そして迎えた96年のボストン大会の公募文が掲示された日、待ち構えていたように決意表明文を大阪民医連に送りました。いつものように定員は2名でしたが3名の立候補がありました。県連からは、初めて3名派遣する代わりに、参加費150万円は全てカンパで集めるように、と言う強い指示を受けました。
しかし、どんなにがんばっても職員のカンパでは数十万しか集まらず3人で頭を抱えていた時に、1人が「患者さまに訴えてみてはどうだろう。」と提案しました。早速、患者さま向けのカンパ袋とポスターを作成し外来や病棟で訴えたところ、たちまちの内に150万どころか270万円集まってしまいました。本当に驚くべきことでした。
このような経緯から帰国してからも患者さまへは、報告集を配ってきました。
また、今では、大阪民医連の職員、患者さまの多くがIPPNWを知っています。そして、私たちは、カンパ活動だけではなく出発前に壮行会、帰国してからの院所と県連での報告集会を行っています。それらの活動は世界大会に参加する以上に重要であると認識しております。
今回のデリー大会でも海外の若者の多くが「9条は重要だ。」と語り、「つどい」ブースで受け取った「9条の会シール」を見せてくれました。励まされました。
次回の大会からは、是非ワークショップを担当しましょう。9条や、被爆者医療などの運動面では我々「反核医師の会」は実績があります。世界中の多くの方々が関心をもって我々を待ち望んでいます。時期的にも2年後は国内でも重要な局面をむかえます。
いくつかのハードルはありますが、皆さまの英知できっと乗り越えられるはずです。
強い信念をもって共にがんばりましょう!